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    丸岡城の年代測定その1(190327)

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      こんにちは。Kです。本日はきれいに晴れ渡った若狭です。先週は一時的にみぞれが降り、上中地域では地面が白くなる等、N課長の顔が青くなるような事態がありましたが、春が戻って参りました。

      さて、今朝の福井新聞をはじめとする福井県関連ニュースの中で最も大きかったと思われるのが「丸岡城天守 寛永の建築」の話題です。丸岡城とは、福井県坂井市丸岡町霞町1-59にある望楼型と呼ばれる古い様式の平山城です。「現存する日本最古の天守閣」として知られた国重要文化財です。

      本日の報道では、丸岡城調査研究委員会による調査で、戦国時代天正年間の15世紀後半(1576年)に築かれたとされた丸岡城が、実は江戸時代寛永年間の16世紀前半(1624年以降)に築かれた可能性が高くなったとされました。では、何を根拠にしているのでしょうか。

      水月湖年縞は、 嵎射性炭素年代測定法」という、特殊な炭素の経年変化を基にした方法を使って「地質学的年代の世界標準」になりました。丸岡城の部材調査では、この方法も採用されました。樹木の年輪を用いた◆崘輪年代測定法」は日本ではヒノキ、スギなどの樹種でデータが蓄積していますが、丸岡城ではこちらも採用されました。

      そして「酸素同位体比年代測定法」という、酸素安定同位体2種の比率変化を基にした方法も丸岡城の調査に採用されました。 ↓◆↓の方法を複合した結果、丸岡城の通し柱をはじめとする多くの部材が、1620年代後半以降に伐採されたことがわかったそうです。

      天正年間の城主は柴田勝豊(柴田勝家のおい)、寛永年間の城主は本多成重(丸岡藩初代藩主)であり、後者の入城(1624年)以降に整備された可能性が高いと同調査研究委員会では判断しています。では、その違いが何を意味するのでしょうか。続きはその2にて。

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