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    • 2019.07.14 Sunday
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    夏期企画展「三方五湖のウナギとシジミの歴史展」(190721まで)

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      たびたびKです。本日の若狭は曇りで、いかにも梅雨といった趣きです。太平洋側の各地では大雨が警戒されていますが、当地ではいまのところ傘は不要です。早く梅雨明けしないかなぁ・・・。



      さて、夏と言えば皆さんは何を想像されますか?若狭と言えば海!なのですが、Kとしては湖にもスポットを当ててあげたいと思うのです。特に、三方五湖は、日本農業遺産「三方五湖の汽水湖沼群漁業システム」が2019年2月に農林水産省から認定を受けており、今夏の企画展でぜひ取り上げたいと思った次第です。



      夏季企画展「三方五湖のウナギとシジミの歴史展」では、上記漁業システムのシンボル魚種であるウナギとシジミを取り上げました。観光客の多くは、食べ物としてのウナギとシジミを見ていますが、両者にまつわる歴史もなかなか興味深いものがあります。



      ここでは、各展示テーマを列記して、想像を深めていただきたいと思います。詳しくはぜひ展示場へご来場の上、ご見学ください。

      三方五湖とは?−写真でみる三方五湖の風景−

      三方五湖のウナギの歴史 櫃覆爾縄文時代には出ない!−

      三方五湖のウナギの歴史◆欟白の原始・古代・中世−

      三方五湖のウナギの歴史−爆発的に増える江戸時代以降−

      三方五湖のウナギの歴史ぁ歸彰拘の明治時代以降−

      三方五湖のウナギの歴史ァ欹埜紊離Ε淵黄金期・昭和時代−

      三方五湖のシジミの歴史 歡刺由塚の多くはシジミ殻−

      三方五湖のシジミの歴史◆盜掌融代以降の記録−

      三方五湖のシジミの歴史−「金産湖」と漁業のおきて−



      会場では液晶モニターで、最近の漁業の様子の動画(協力:福井県里山里海湖研究所)を見ることができます。そして、周辺各地でウナギやシジミを食材として提供しているところの情報も…。あわせてお楽しみいただければ幸いです。



      ◆雪のない冬と動めく動物

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        おはようございます。Kです。今日は日本晴れの若狭です。レインボーライン山頂公園から、日本海と三方五湖の両方が拝める稀有な日だと思いますので、自家用車でお越しの方はぜひ登ってみてください。レインボーライン・年縞博物館・縄文博物館を巡るスタンプラリーも実施していますので、あわせてどうぞ!



        さて、いい天気ながら冷え込んでいる今朝、出勤の際に思いがけない光景を目にしました。三方五湖周辺は生物多様性に満ちているので様々な動物が生息しています。ちょっと悲しい話になりますが、お付き合いください。



        三方五湖のうち、北東に位置する久々子湖(美浜町)〜菅湖付近(若狭町)〜三方湖(若狭町)のルートに沿って、若狭梅街道という広域農道が南北に走っています。Kの通勤ルートなのですが、それほど交通量は多くなく、本記事で話題にする7kmほどの間には信号も3基しかない片側1車線の車道です。湖沿いに田んぼや畑が広がり、街灯のない区間がほとんど、といういわゆる田舎道なのです。



        Kはこのルートを10年以上利用していますが、特にこの冬「自動車にひかれた・はねられた」動物を多くみかけるようになりました。感覚的なものでしかないのですが、今シーズンに積雪がほとんどないことが関係しているのかも知れません。



        見かける動物は小動物が多く、テン、タヌキ、まれにイタチ?と思われるとても小さな動物もいます。片側に森や林、山裾のある場所であることが多く、道路を横切ろうとして犠牲になったのでしょう。とても見られない状態になっていることもあれば、まだ生きているのかな?と思う無傷に近い状態の場合もあります。昨年12月から2月にかけて、1週間に1度は見るようになりました。



        今朝見かけたのは、それらの動物の中でも、とても珍しい2つのケースでした。Kが珍しいと思っているだけで、実はそうではないのかもしれませんが・・・。



        最初に目に入ったのは、茶色い大きな尻でした。成獣のイノシシです。Kの車に背中を向け、あと少しで車道左側の藪というところに横たわっていました。手前に大きな糞と思われる塊が2つ落ちていました。寝ているのかな?と思う無傷の状態でしたが、多分息絶えていたのでしょう。



        車にぶつかった衝撃で催してしまったのか、最後に用を足してから「ごろん」と横になったように見えました。合掌。



        もう1体は、三方湖も良く見える、人里に近づいた場所で、車道のセンターラインの上に載っていました。「それ」は、緑・黄・白・茶色という、人工物を思わせるカラフルな見た目で、遠目にはおもちゃのように見えました。



        近づいてみると血が見え、生き物だとわかりました。オスのマガモです。マガモは雌雄で色が違い、オスは「青首」と言われる鮮やかな緑色の頭をしています。なぜ自然界にこんな鮮やかな色があるのか、と思わされます。合掌。



        14年間の通勤で、水鳥が車にはねられているのを見たのは、初めてです。通常、水鳥は夜に湖などで羽を休め、明るくなるとエサをとりに行くようなのですが、いったい何時の時間帯に被害にあったのでしょうか。飛ばずにエサのない道路上をよちよち歩いていたのでしょうか。車の前で慌てるニワトリの動きを想像してしまいました。



        先ほども書きましたが、雪に閉ざされない分、動物たちの移動は容易になっています。自分が動物のいのちを奪ったりしないよう、運転にはくれぐれも気をつけなくては、と思った次第です。

        日本農業遺産「三方五湖」の認定について

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          何度目かのKです。タイムリーな話題がありますので、みかえりのマツの記事を休憩して、お知らせいたします。



          皆さんは、「世界農業遺産」をご存じでしょうか。国連食糧農業機関(FAO)が認定する制度で、「社会や環境に適応しながら何世代にもわたり継承されてきた独自性のある伝統的な農林水産業と、それに密接に関わって育まれた文化、ランドスケープ及びシースケープ、農業生物多様性などが相互に関連して一体となった、将来に受け継がれるべき重要な農林水産業システムを認定する制度」です(農林水産省HPより抜粋)。「日本農業遺産」もこれに準じて、2016年に始まりました。



          このたび、三方五湖地域が認定を受けたのは、資源管理の手法や5つの湖の特性に合わせた漁法です。これには伝統的な漁法や食文化が関わるので、福井県農林水産部地域農業課が主務を担当し、関連する県の部局や美浜町役場、若狭町役場等が事務局を担当して申請に臨みました。



          Kの属する歴史文化課は主管していたわけではなかったのですが、伝統的な漁法や、民俗に関わるテーマでもあり、裏方でサポートをしておりました。関係各部署の尽力と、両町の漁協を中心とする住民の皆様の普段からの取り組みが評価をいただいたのです。



          実は三方五湖地域は、制度の創設された2016年にもエントリーしていましたが、落選した過去があります。再チャレンジの際、「スケールメリットではなく、スケールリミット」というキーワードを話題に出した方がいました。つまり、大規模に漁獲し、各地に出荷するという方向ではなく、地産地消や、ここに来たからこそ味わえるといった「限定性」に着目したことが成功の理由だったと思います。確かに三方五湖は規模が小さく、漁業従事者も多くないことから、漁獲量そのものは決して多くないのです。



          むしろ資源を枯渇させない取り組み・工夫や、独自な漁法の継承といった「個性」が評価されたのです。安易に市場原理に乗らない部分であり、別の土俵で勝負といった形だったのだと思います。



          認定を受けたことで、今度は「遺産」の保護や維持、継承が課題になります。実はこちらの方が、長期的には簡単なことではないのですが、また一つ増えた地域の「宝」を喜びたいと思います。

          福井大学の留学生の皆さんのご来館その2【180519】

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            引き続き、KSMILYです。

            レインボーライン山頂公園には、リフトとケーブルカーがあります。福井大学の留学生のみなさんは、全員ご出身がアジア方面(中国・台湾・ベトナム・マレーシア・マカオ・タイ)なので、スキー場にあるようなリフトが珍しかったらしく、半分以上の人たちがリフトで登っていきました。そのリフトも、おそらくここ10年ほどでほぼ姿を消したと思われる「一人乗り」のスリルあふれるタイプです楽しい。Kは黒板と持っているという理由から(本当は雨で寒いから)ケーブルカーに乗りました。

            三方五湖の観光地化の歴史は意外と新しく、1968年に県営の有料道路(三方五湖周遊道路・のちのレインボーライン)ができ、1970年に駐車場やレストハウス、1971年に山頂にいたるリフトが設置されました。1981年から現在のような山頂部の自然公園化が進められました。約50年で福井県を代表するような観光地となったわけですびっくり



            山を降りた一行は、若狭三方縄文博物館に入館し、いつもよりゆっくりめのKの解説を聞きながらご見学いただきました。縄文時代に対する関心度合いも高く、質問も多数いただきました。手前味噌ですが、当館の展示室は、模型やイラストも多いので、縄文時代のイメージをつかんでいただくには最適だったかもしれません。



            研修の締めは、縄文ロマンパークの復元竪穴住居です。初めての試みでしたが、住居の中に一行の25名全員入っても大丈夫でしたびっくり。こちらも海外の皆さんからは新鮮な施設と思っていただけたようです。



            後日、留学生の皆さんから(日本語の)感想文が届きました。言葉だけでなく、文章の日本語も上手で、日本人が外国に留学したら、(恥ずかしがりやのお国柄的に)こんなにうまくはできないのでは?と思いました。国際的な視点を新たに開かせていただき、Kも大変勉強になりました。この場を借りてお礼申し上げます嬉しい

            福井大学の留学生の皆さんのご来館その1【180519】

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              たびたびKSMILYです。



              時間が前後して恐縮ですが、先週土曜日19日の記事です。福井大学は多くの留学生の方々を受け入れておられるのですが、同大語学センターでは年5回ほど、「日本事情」という研修講義を県内各地で実施しています。今年度から三方五湖もテーマに入れていただいたので、いささか役不足ながらKが案内を担当させていただきました嬉しい



              留学生の皆さんは、いずれも日本語検定の合格者だそうでびっくり、日本語でのコミュニケーションには問題ないとお聞きしておりました。「もし、Kが外国語に堪能であっても日本語で解説してください」とのことでした。外国語にまったく堪能でないKとしては、ホッと一安心楽しい



              バスで道の駅三方五湖にご到着後、Kがバスに便乗させていただき、解説をしながら三方五湖を見下ろせるレインボーラインへと向かいましたバス。Kは黒板を持参して、「三方湖」などをひらがなで書きながら、ゆっくりとした口調で「三方五湖あるある」をお話しました嬉しい。意外と、ネタはごろごろあって、しゃべりっぱなしでした。



              レインボーラインは、天気が雨模様ということもあり、景色が見えないのでは?冷や汗と心配しましたが、小雨が降るなか、日本海(若狭湾)も三方五湖の両方を眺望できました楽しい。「日本では、大切なイベントの日に雨を降らす人のことを、雨男・雨女といいます」と説明し、「Kは雨男ではありません。雪男です」と申し添えるのも忘れませんでした嬉しい



              何とか景色を見ることができ、レインボーライン山頂を後にした一行でした。つづきはその2にて。



              三方五湖一斉清掃(180422)

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                何度目かのKSMILYです。



                当館のスタッフは、めでたく8名に増員されましたが、ほぼ全員が現場持ちであるため、8名全員がそろうことがまずありませんびっくり。かっこいい言い方をすれば「少数精鋭」(←自分でいうか?)、実質的な言い方をすれば「無駄を配した人員配置」(←これまで無駄があったとはまったく思えませんが)、少し弱気な言い方をすれば「もし誰かが急に欠けたらどうしよう?」ショックというスタートですが、和気あいあいと、笑いもあふれる楽しい雰囲気の職場です楽しい(これもホントですよ楽しい



                その館員が総出で関わった、毎年春・秋のイベント、「三方五湖一斉清掃」が、先週22日に開催されました。総勢200名のご参加があり、三方湖・水月湖・菅湖の周囲をきれいにしていただきました楽しい。同時に美浜町域でも清掃が行われておりましたので、まさに「三方五湖」が「一斉」に美しくなったと言えるでしょう。



                天気もよく、汗ばむ陽気だったので、さすがのKもくたびれて、その夕方5時から放送していた「ふれあい若狭」(福井放送)のオンエアを見逃してしまいましたショック。当館のゴールデンウィーク体験「勾玉づくり」を取り上げていただいたのに、残念です悲しい。もしご覧になった方もそうでない方も、ゴールデンウィークはぜひ縄文博物館ときれいになった三方五湖に遊びにいらしてください。

                災害ゴミの撤去活動(171102)

                0
                  こんにちは。KSMILYです。



                  相変わらず声がしわがれているKおじいちゃん(←声のイメージ)ですが、外の気候は晴れて暖かく、行楽日和な文化の日です楽しい。こんな日は三方五湖周辺のドライブがオススメです。



                  さて、ここ数回のブログで、先月の台風のことなどに触れておりますが、昨日、若狭町歴史文化課ならびに当館関係者6名による、縄文ロマンパーク内災害ゴミ撤去が行われました。「撤去活動」というと大げさですが、量が掃除とはケタ違いだったので、ご報告いたします嬉しい(ちなみに、Kは来客があったのと事務仕事で戦列を離れていました)。



                  縄文ロマンパークは北が三方湖の南岸、東がはす川の左岸に接しており、今回は北風の強い台風台風だったことから、前者中心に大量の木やヨシといった植物質のゴミが吹き寄せられていました。増水した三方湖の水位が下がる際、ゴミだけは置いていってしまうのです悲しい



                  また、丸木舟体験や、若狭町祭りの舞台となるステージ周辺も大きく冠水し、観客席となる斜面まで上がった水が大量のゴミを残していきました。水月湖年縞研究展示施設(仮称)建設現場に接するはす川左岸も同様ですしょんぼり



                  大量の泥もあったのですが、昨日は主に植物質のゴミを人力で集めて軽トラックに積み、今後重機でゴミを回収するポイントまで移動させるという作業でした。午前中は4名、午後は6名に増員し、1日かかってある程度きれいな状態に復旧させることができました。本当に大変な作業だったと思います嬉しい



                  災害復旧は、もちろん縄文ロマンパークだけでなく、河川、農地、道路など、若狭町域の至る所に及んでいます。来週からそれらの被害状況把握のため、本格的な測量などの調査が始まることもあり、役場各課から職員が徴用されることになっています(歴史文化課よりも1名)。他県でも大きな被害があったことかと思いますが、心よりお見舞い申し上げますしょんぼり

                  三方五湖の排水についてその3

                  0
                    よたびのKSMILYです。



                    三方五湖水系には、浦見川と嵯峨隧道という2本の人工水路があり、この2つなくしては、もはや自然排水ができない状態になっています。考えてみるとこれらは江戸時代には掘削されているので、現代から見てもかなりの大工事をやり遂げているのです。Kはどちらかと言えば、必要のない自然改変は避けた方がいいと思うのですが、人命と農地の生産性を考えた場合、当時としても妥当な決断だったと思います。



                    そのうちの一本である嵯峨隧道が水門で閉鎖されてから約20年後の1999年8月14日に、三方五湖周辺を熱帯低気圧が原因の集中豪雨が襲います。湖水が増水し、人家に浸水し、田畑や道路が大規模に冠水。周辺の丘陵で崖崩れが頻発しました。道路や鉄道も寸断されて、三方湖の上流の河川に土砂が流入し、堆積しました。『広報みかた』によれば、被害総額は6億2000万円に達しましたショック



                    この時、旧三方町と美浜町で構成される流域協議会により、嵯峨隧道の水門が開放され、水月湖から日向湖に排水がなされました。土砂を多く含んだ淡水が日向湖に流れ込むことで、いけすで畜養していた魚に多大な被害が発生しましたショック



                    前記事にも書いたように、その後2004年、2013年、2017年にもそれぞれ同等もしくは当時を上回る被害が発生していますが、嵯峨隧道の水門は開かれませんでした。2013年の水害の際、Kは唯一稼働している浦見川近くまで被害調査に回りましたが、ふだんは水音もほとんどしない浦見川は、その時は「ゴウゴウ」と大きな音と水しぶきをあげて久々子湖側に流れ込んでいるのを見ました冷や汗



                    歴史上、水害によって大きな被害を出している三方五湖周辺ですが、日本列島で近年多発する大雨がそれに輪をかけて被害を大きくしているように思います。低地の浸水などは日常茶飯事なのですが、自然現象相手なので、なかなか根本的な解決に至っていない状況です。今後も、慎重に対策を練っていく必要があります嬉しい

                    三方五湖の排水についてその2

                    0
                      みたびKSMILYです。

                      Kが当館に奉職してから、17年が経ちましたがびっくり、その間、数回の三方五湖周辺の洪水を経験しています。大きなものでは2004年10月20〜21日、2013年9月15〜16日、そして今年の2017年10月22日〜23日です。

                      いずれも、三方湖・水月湖周辺の道路が冠水して通行止めになり、大量の自然ゴミが陸地に打ち寄せてきました。人命に関わる事態にはなっておりませんが、これも大雨などの際、三方五湖の排水が不良なことが原因なのですしょんぼり

                      これを解決するために、まずはじめに当ブログでも取り上げている浦見川が掘削され、1664年に開通します。こうして水月湖と久々子湖とをつなぐ排水路が確立したのですが、その後も続く水害のため、今度は水月湖と日向湖とをつなぐ嵯峨隧道が掘削されました。浦見川は切り通しなので、崩落しても再度掘削できましたが、嵯峨隧道は山の土質の影響からか、何度も崩落して埋まるという悲しい過去があります悲しい

                      Kが調べた限り、嵯峨隧道は、1707年、1751年、1763年、1798年、1832年、1844年、1894年、1932年、1978年の9回の掘削・改修工事を経験していますびっくり。日向湖は記録の上では、1635年から若狭湾に接続されて海水湖となっており、1934年には嵯峨隧道を水月湖まで逆流した海水の影響で、水面まで硫化水素を含む水で被われたこともあったそうです。

                      そのため、嵯峨隧道には同年から水門がつくられ、排水の調整がなされていたようですが、1978年の大規模改修後は、この水門は常に閉じられた状態になりました。1980年から、三方五湖の排水路は浦見川一本になったのです。

                      しかし、その後も水害は続きます。1982年(7月豪雨と8月の台風10号)、1990年(台風19号)、1998年(台風7・8号)・・・ショック。そして、1999年の8月豪雨時に大きな決断がくだされました。続きはその3にて。

                      三方五湖の排水についてその1

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                        たびたびKSMILYです。



                        国名勝にして、若狭湾国定公園の一角をなし、ラムサール条約湿地でもある三方五湖。今回は、その水がどのように流れているかについてお話します。先週末に台風21号が襲来し、地元はようやく落ち着いてきたところですが、歴史的にさかのぼってみたいとおもいます嬉しい



                        水月湖プロジェクトや東京大学、福井県による最近のボーリング調査によれば、水月湖並びに三方五湖の歴史は少なくとも20万年前までさかのぼると言われています。現在の形に落ち着いたのがいつだかは実は不明確なのですが、元々、断層(地面のずれ)によって湖周辺の地形が絶えず落ち込んでいるので、形の変遷を追うことは極めて難しいのです。できるならば、Kも縄文時代の三方五湖の正確な形を知りたいところなのですが…しょんぼり



                        さて、その三方五湖のうち、最も外側(下流側)にある日向湖と久々子湖ですが、日向湖はかつては他の湖と接続しない淡水湖(現在は海水湖)、久々子湖は若狭湾の一部(大きく開いた潟湖)でした。久々子湖(湾)は、現在の国道27号線に沿った水路で菅湖と接続していました。おそらく、縄文時代は、三方湖→水月湖→菅湖→久々子湾といった海に通じるルートがあったと思われます。ちなみにその頃の三方湖は南側に大きく拡大しており、約2倍の面積であったと考えられますびっくり



                        久々子湾がいつ久々子湖(潟湖)になったのかというと、若狭湾と現在の久々子湖の間にある砂丘上に古墳があるので、おおよそ古墳時代には潟湖になっていたのではないかと思われます。その頃には、拡張していた三方湖もある程度は縮小していたでしょう嬉しい



                        中世(鎌倉時代以降)になると、気山津という湊(みなと)が久々子湖上流域に開かれて栄えた記録があります。場所が特定できていないのですが、現在の宇波西神社付近にあったのではないかと考えられます(今は一面の水田が広がっています)。日本海を船で運ばれた物資は、久々子湖から水路沿いに三方湖周辺まで運ばれたのかも知れません。



                        江戸時代までに、気山津は衰退し、三方五湖周辺では小浜湊や敦賀湊が海の玄関口になります。湖同士をつなぐ水運もあったのでしょうが、1662年に大きな画期を向かえます。寛文の大地震によって、菅湖と久々子湖をつなぐ古気山川がつぶれてしまったのです。これによって、縄文時代以来の排水路が失われ、一帯は洪水に見舞われます冷や汗。続きはその2にて。


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